金武湾 社会運動の息吹 今の中にも必要なもの
日付:8月11日(土)
旅日数:家出て638日( 広島など 280日,バイト 79日, 大阪滞在 38日 )
天気:晴れ 本日の移動: 沖縄市
現在地:コザ すばる書房
移動距離:そんなに 総移動距離:約5857.8キロ
この日はコザの知り合いのとこにお邪魔しようということで、お昼ぐらいに約束する
こちら広島の劇場アビエルトにいた際に知り合った方で、古書店をされている方『下地さん』を訪ねる
流れで泊めていただくことになり、ゴーヤを頂いたりながら古本見たり少しきゅーけい
夜は社会運動関係の映画があるということでそちらに連れてってもらう
「シバサシ」
↑沖縄氏から西へ行った方 本島から伊計島までの島々を埋め立てなどで繋ぎ、埋め立て地に工場 中には原発までも作ろうとしていたという
それに反対する 金武湾を守るという動きを、その中心となった『安里清信さん』の生涯を軸に方ってくれたドキュメンタリー
まずこの金武湾を守る運動 「反CTS闘争」について
1970年代 沖縄復帰前後、金武湾に石油備蓄基地(CTS)を建設するということでそれに反対し、市民組織 「金武湾を守る会」を結成し、戦った
この集まりには今でいう活動家や学生などはもちろん、地元住民なども一丸となって参加したそうだ
CTS=石油備蓄基地 これを国や県、村 大企業などが開発していくため、金武湾の海が犠牲になろうとしていたわけです
これにはただ単に国のやり方がどうこうというだけでない、沖縄が日本でない国からどう日本になっていくかというようなとても難しい意味合いもあったようです
実際この埋め立て地場には原子力発電所の計画があり、これを許せば今沖縄も原発地域だったということも考えられるわけです
逆に現在沖縄は産業が少ないというような話を聞きますが、国がこのとき言うところの「平和産業論」によって日本本土に沿うような形での復帰をして
原発を中心とした産業の安定しているような地域になったかもしれません
しかしこれは原発を中心にという時点で決して進めていいものではないと思います。
が、一つの未来として雇用などは安定してたかもということを
ただ、それは間違っていると分かっていても目の前の安定や利益を選んでしまうということで、根本的にはあっていることではないのではないでしょうかね
そんで本題に戻ると
この闘争によって1000万坪の予定だった埋め立てが64万坪まで押さえることができ、原発建設も白紙撤回となりました
というところでございますが、この運動初めて今回知った訳なんですが
改めて1970年代 沖縄復帰前後の話で、そのパワー団結力 地からを見ると物凄いものを感じます
『海と大地と団結の力』
その当時の言葉です
今も様々なところでたくさんの力があらわれていると思います
CTS闘争の時は地元民、活動家、学生、外部から、子供みなが 地域が一体となるような動きだったと言います
反対デモで地域の躍りが踊られたりしていたそう
それは中心となった安里先生の人柄もあるでしょうけども
今も、そんな風にたくさんの力を
若い人も 年をめした人も 男も女も
地域も出身も関係なくまとめられたら 次の段階にいけるだろーなーと
もうやってる方もいるんでしょうが、やはり
一人一人にその意識を ぜひぜひ
というところで