沖縄の美しさと歴史 戦争

日付:8月9日(木)
旅日数:家出て636日( 広島など 280日,バイト 79日, 大阪滞在 38日 )
天気:晴れ 本日の移動: 糸満市八重瀬町南城市
現在地:斎場御嶽の駐車場  移動距離:31.5キロ 総移動距離:約5857.8キロ


今日は 暑いっ
暑いねホント 久しぶりに暑いなか走ってたらかなり疲労困憊でございますよ



今日は主に「ひめゆりの塔」と「平和祈念公園」に行って参りました
戦争関係のとこですね
那覇から南に行った方です

こちらの方は、戦中日本軍の本部や戦略の関係で最後の最後まで戦禍が激しかったところです



映画などでなにかと有名ですが、ひめゆりの愛称で親しまれた沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の女学生たちを奉ったものが ひめゆりの塔と資料館です


一見やんちゃそうな彼らも一言も話さずただただまいっていました


こちらの学校、地域では模範となるようなしっかりとした生徒の多い学校だったそうで、なかには家からの通えない範囲から来ている人もいて、寮生活の生徒さんもいたそうです


最初は遠いできごと テレビの中のできごとのように思っていた戦争
それが沖縄への空襲で他人事ではないということを悟ったと言います
NHKの朝ドラ「カーネーション」では大阪の戦中が描かれていましたが、まったく一緒 他人事だったものが一日で現実
傍観者が当事者になるんだと思います

ここまで劇的ではないですが、今の現代でもそんな部分はあるでしょう
いつまでも他人事 傍観者ではいられない

で、空襲後徐々に戦禍が激しくなり、米軍の沖縄上陸を許すなかひめゆりたちにも動員が
陸軍病院での仕事が主で、配置当初は穴掘りから、忙しいときは病人の介護その他を専門の看護士一人に学生4、5人で一壕というような状況にまで

この病院というのも、横穴の防空壕に粗末な二段ベットが備え付けられただけの施設だったそうです


ひめゆりの仕事は搬送されてくる患者の看護 食事 下の世話 水汲みなど全般
患者は腕のない人足のない人 また壕ないで手術をした手足をすてに行く仕事
亡くなった方を毎日のように外へ運び出す
一人分握りこぶしもないごはんを配る仕事
「学生さーん 学生さーん」とずっといろんな人から呼ばれる中


ひめゆり 実際の現場を体験した方の話を
患者さんの傷口 そこにすぐウジが湧く
ウジが湧いたところはすごくいたいらしく 取ってくれ取ってくれ と言われる
それで少しずつ少しずつとるが、それが一人や二人じゃない
何十という人を相手にしてる
…こればっかりはどうしようもない そう思うしかなかったと


この病院に入って無事戦場に復帰したとか元気になったとか、そんな話しは記憶には一つもないという…




そして沖縄戦後半
南部に逃げていた中、急にひめゆりたちに解散命令が出されたそうです
ここまできて、急に壕から出て自分でどうにかしろと


どうしようもない
辺りは爆弾の雨
アメリカ軍もたくさん

死ねと言われているようなもの
そんなかひめゆりや先生方は逃げ惑い数日間で100余命のひめゆりが亡くなったそうです
なかには米軍に捕まるくらいならと、自ら手榴弾で命をたった人も


目の前で仲間が爆弾にやられ 片足を引き裂かれ はらわたを見せながら苦しむのを見たと実体験で聞かせてくれました


240人のひめゆりのうち227名が亡くなったそうです


本当に  現実とは思えない 思いたくないような事です

絶対繰り返してはならない やってはならないこと


そのために知ることから初めてほしい そう言われました

実際に体験する事が一番わかる
しかしこんなこと絶対してはいけない

そんな時、実際体験した方々がまだいる
その中で話を聞き知る『追体験』をしていく

これが今必要で これからも必要になっていくこと
出来ることだと思います


ぜひ皆さんにも沖縄に来た時にはこういう所にも来てほしいです


綺麗なところ ステキなところがたっくさんの沖縄です


今があるのは過去があるから
未来のためには過去も知る


そうであったらとてもいいのではと思います




自分はここで話を聞いてて、自分自身が思った以上に冷めてるとか冷たいなってことを思いました
我々世代全般のこともあるでしょうけども、しょうがないものはしょうがない 無理なものは無理 結局どうしようもない
そんな気持ちがすごく強い


自分ではそれもあるけど、前向きさも合わせてあると思ってたけど、思った以上に冷めが強いなって


実際現代そんなもんかもしれない
けど、やらなきゃ変わらないし 変える気でやらなきゃやっぱ変わらないと思って
現実を冷静に見るのは大事ですけど、それによって情熱を失ってはならない
現実に負けてはならいなと


大切なものを本当に大切にできるよう変わっていくそれが必要だ





こちらは平和祈念公園


平和の火があります
外人さんが多く 観光かなと、思ったら外人名の碑のとこを一生懸命見てたので遺族にあたる方々かもしれません

戦争は国内でも戦死者には米兵もいたということを改めて実感




いく先々 南の地域では壕跡などが
と思ったら、これは沖縄のお墓だそうです
お盆のような時とか、この墓の前の空間でみんなでお弁当食べたりとか、そういう風習・行事があるようです




今もなお



海での風景

海の中で一人でも


強くすくすく生える彼を




住宅改修
昔の住宅を公園として残しているよう


魚っ




なぜかプレステのコントローラ


網と一緒に



肉の指定が細かいっw



選挙についても後日